【オープンデイのお知らせ】2025年5月30日(金)大山スクール&高島平スクール

不登校を経験した著名人

不登校を経験して活躍している著名人

不登校や引きこもりを経験し、その後に活躍されている著名人をご紹介します。不登校に悩む方が、今はつらい状況にあったとしても、将来に希望を持ち、明るい気持ちになれるようにお役に立てば幸いです。

目次

リュウジ 【料理研究家】

千葉県千葉市生まれの日本の料理研究家、動画クリエイター。 株式会社バズレシピ代表取締役社長

料理研究家/株式会社バズレシピ代表取締役 Twitter登録250万人 YouTube登録400万人 総フォロワー約850万人 世界一受けたい授業出演 第7回レシピ本大賞受賞 著書累計145万部

公式インスタグラムのプロフィールより

2023年11月17日:NHKあさいちのプレミアムトークに出演されていました。他のメディア出演でもご本人が公言しているのですが、中学生の頃からゲームにあけくれ、高校生の頃まで引きこもりだった時期があったそうです。「好きなことしかできない」「学校には興味がわかなかった」と当時のことを話しています。

親の対応

母親は心配しながらも「きっとあなたにしか出来ないことがあるはず」と言ってくれたそうです。

転機

高校時代、母親が体調を崩したときにインターネットでレシピを調べて「チキンソテー」を作ったそうです。その際に、母親がおいしいと喜んでくれたことが嬉しくて「料理って面白いな。」と感じたのがきっかけだと話しています。

いくつかの仕事を経験しながら、高齢者施設のコンシェルジュをしていた時に料理を担当し、その料理が施設の利用者から大好評だったそうです。その後、出版社から声がかかり、レシピ本を出すなど料理研究家としての本格的な活動が始まったそうです。

どんな進路を選んだのか

漫画喫茶のアルバイト、ホテルマン、イタリア料理店、高齢者用マンションのコンシェルジュ(受付)を経て、動画クリエイター、料理研究家として活躍されています。

中島 大嘉 (なかしま たいか)【サッカー選手】

大阪府大阪市住吉区出身のプロサッカー選手(Jリーガー)。ポジションはフォワード(FW)。

小さい時から集団生活が苦手で。だから小学校もたまに行きたくなくて休んだりしていた。小学校を卒業して、中学校に行って、俺、中学3年間のうち半分も学校に行っていないんですよ。鬱(うつ)で。

1年の終わりくらいから行かなくなって、3年夏からちょくちょく行きだした。2年は出席日数7日くらいしか行っていない。始めの1週間だけ行ったみたいな。

【札幌・中島大嘉ヒストリー〈上〉】

親の対応

苦しんだ中学時代を「母が支えてくれた」と話しています。「俺のお母さんが俺のお母さんじゃなかったら、多分死んでたと思う。」とインタビューで話しています。

転機

目の手術をしてサッカーをしていない時期があり、「復帰したらみんなに追い抜かされていた、それがショックで塞ぎこんだ時期がはじまった」と本人が自己分析しています。

周囲の救いの手が煩わしいと感じた時期もあったようですが、サッカーしかない!と自分自身で腹をくくり、サッカーを再び始めたことで、少しずつ気力復活に向かったそうです。

どんな進路を選んだか

小学1年生からサッカーを始め、長崎・国見高に進学。高校3年時に札幌の特別指定選手に登録。2021年プロ入り。記事の中で「お母さんを幸せにするためにサッカーをしている。家族を守るために。それが頑張る力になる」と話しています。

中川翔子(なかがわ しょうこ)

職業: タレント、歌手、声優、YouTuber

親の対応

中川翔子の母は、不登校になった娘に対し、無理に学校へ行かせるのではなく、別の学びの場を提供。日中は塾に通うことを勧め、勉強を続ける環境を整えた。これにより、中川は学業を維持しつつ、自分のペースで生活できた。

情報源: 「不登校オンライン」記事(2024年12月5日)および関連インタビュー(https://futoko-online.jp)(https://futoko-online.jp/column/11688/)

転機

不登校の原因はいじめだったが、塾での学びや自己表現の場(オーディションなど)を通じて自信を取り戻す。2001年に「ミス・セブンティーン」に応募し、芸能界入りへの道が開けたことが大きな転機。自分の「好き」を追求することで、精神的にも立ち直った。

情報源: 中川翔子のX投稿(2024年5月16日、https://news.mynavi.jp)および「くらしのワンシーン」記事(2018年8月27日、https://senkokugoshochi.com)(https://news.mynavi.jp/article/20240516-2946932/)(https://senkokugoshochi.com/koharu/school-refusal-entertainer/)

どんな進路を選んだか

高校には進学したが、芸能活動を本格化。セブンティーン専属モデルを経て、2002年に歌手デビュー、2006年に声優デビュー。その後、タレントとしてテレビ番組やYouTubeで活躍。不登校経験を公表し、悩む若者にエールを送る活動も行っている。

情報源: 「不登校オンライン」記事(2024年12月5日)および中川翔子の公式プロフィール(https://www.shokotan.jp)

指原莉乃(さしはら りの)

職業: タレント、プロデューサー、元アイドル(AKB48、HKT48)

親の対応

中学生時代にいじめによる不登校を経験。母親は指原を無理に学校へ行かせず、感情を受け止める姿勢を示した。いじめの手紙(「学校に来ないでください」)を受けた際も、娘の気持ちを優先し、上京をサポート。芸能界への挑戦を後押しした。

情報源: 小幡和輝オフィシャルブログ(2022年1月29日、https://www.obatakazuki.com)および「不登校オンライン」記事(2024年12月5日)

転機

いじめによる不登校後、母親の勧めで上京し、AKB48のオーディションを受けたことが転機。2007年に合格し、アイドルとしての活動が始まる。新しい環境で自己表現の場を得たことで、自信を取り戻し、精神的にも安定した。

情報源: 「くらしのワンシーン」記事(2018年8月27日、https://senkokugoshochi.com)および関連インタビュー(https://futoko-online.jp)

どんな進路を選んだか

AKB48加入後、2012~2014年に総選挙3連覇を達成し、国民的アイドルに。HKT48移籍後、劇場支配人も兼任。2019年にアイドルを卒業し、現在はタレント、プロデューサー(=LOVE、≠ME)として活躍。不登校経験を活かし、若者に前向きなメッセージを発信。

情報源: 「不登校オンライン」記事(2024年12月5日)および指原莉乃の公式プロフィール(https://sashihararino.com)


このように、不登校を経験した方でも、過去の経験を語り、当時の心境を教えてくれた著名人がたくさんいます。その声に勇気づけられた子ども達や、保護者の方も多いのではないでしょうか。時間を見つけて、またご紹介したいと思います。


この記事を書いた人

本橋 悦子

・フリースクール ビリーバーズ板橋 運営

・心理カウンセラー

・アドラー心理学カウンセラー

・英会話教室の講師

・子ども発達障がい支援実務士

・二児の母

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